穴守稲荷のホームに降り立ち、ホーム端には先客がいたので跨線橋側から来る電車を撮影
おとといに続いて1201編成がエアポート急行で来ました♪
ラッピングと違って窓やドアの枠にステンレスの地肌が出ていないのがイイですね
改札を出て、
↑駅入口の鳥居
目の前の踏切の脇にある巨大な水門
この先で川をくぐる関係での浸水対策の設備ですね。
線路に沿って羽田空港方向に歩くと穴守稲荷神社の参道に出ました。
実は初めて来たのでごあいさつ程度に軽く手を合わせます。
立派な造りです。
さらに歩き
とある民家の隙間から見えた石垣↑
線路の方にあったので京急の築堤の痕跡かも。
初代羽田空港駅はこの辺り↓かな?
かつては海老取川を跨ぎ越すための築堤が残っていたそうですが無くなっていました。
天空橋
第二次大戦直後まで京急線はこの脇あたりにあった鉄橋で川を渡っていて、京急線廃止後に歩道橋に転用されたものの老朽化で使用禁止になったためにこの天空橋が架けられたそうです。
すぐ隣にある稲荷橋
幅は有るのですが向こう岸には左に折れる歩道しかないのでこちらも人道橋
さらに隣の穴守橋
こちらが環八の通るメインの橋
至近距離に橋が3つもかかっているのも不思議なものです
穴守橋を渡って
整備場駅を出た東京モノレールが地下に潜ります
道路脇はもう羽田空港です
駐機中のジェット機
かなたにビッグウイング
ここで信号を渡って天空橋駅側に進むと
道路わきのフェンスに羽田の歴史が描かれています。
有名な開業の頃の穴守駅の写真
海老取川を渡る京浜電車↓
興味深い情景です。
これらの画像のあるフェンスの向こうは旧滑走路跡地
もっか造成工事中の由
URの名前が出ているのですが宅地化するのかな?
京急の駅入口とバス停
今は空港の敷地になっている地域はかつてれっきとした街並みがあり、海水浴場や競馬場、小さいながらも飛行場があったそうですが終戦後に進駐軍が占領して米軍基地になり、接収解除後に国際空港が築かれた…わけなのですが話が重くなるのでその辺についてはご興味がある方が各自研究してくださいw。結論として、かつて京浜電車がこの辺りの地上を走ったりした時代があったもののほぼ痕跡は残っていませんでした。それが判っただけでも収穫でした。
話が変わりますが今日は京急川崎の大師線ホームで「うらりマルシェ」というイベントもやってました
大漁旗を付けた1477編成が据え付けられ、車内で三浦の野菜を販売していたようですが、大盛況で入場規制されている状態でしたので写真だけ撮って退散しました(;^_^A
参考:トワイライトゾ~ンMANUAL10「占領下のエアポートエクスプレス」
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