2016年9月24日土曜日

池子の森自然公園(弾薬庫跡)の線路

今年の春から京急逗子線の北側にある米軍用地の一部が「池子の森自然公園」として休日日中のみ解放される様になり、部分的にかつての弾薬庫時代の線路が残っていることが先日発売のレイルマガジン誌(2016-11月号)に載っております。

当ブログ的には

  • 30年余りにわたって皆さまに親しまれる第一運動公園のデハ601
  • 京急の旧逗子海岸駅(←京浜逗子+逗子海岸→新逗子
  • JRの電留線の第4種踏切(←逗子駅からの順路
  • J-TREC関連の専用線と輸送(詳しくは鉄道ピクトリアル誌2016・7月号をご覧ください)
に次ぐ5つめの逗子市内・鉄道珍百景ですw ということで今回はその記事の補足的な記事です。

 ごく簡単にこの米軍用地の歴史をまとめると、旧石器時代からこの辺りには集落がありヒトが住んでいましたが、昭和12年頃に日本海軍に接収されて弾薬庫になり、第二次大戦後に今度は進駐軍に接収されてしばらく米軍の弾薬庫として活用されたあと使われなくなったため激しい返還運動が展開されたものの池子地区(神武寺駅から見える辺り)が米軍住宅になった・・・というエリアでして、今回自然公園になった久木エリアは長いこと一般人の立ち入りができなかったため豊かな自然が残っています。

 弾薬庫の貨物線は今も使われているJR逗子駅から京急の神武寺駅に通じる線路から久木方向と池子方向に分岐していました。余談ながら分岐しないで線路をまっすぐ進んだ先は、いまは総合車両製作所横浜工場がありますが、戦時中そこには「日本海軍航空技術廠横浜支廠(=兵器などの軍需工場)」がありました。

 さて、京急の神武寺第一踏切からまっすぐ進むと「池子遺跡群資料館」があり、ここには休館日(月曜)を除く9時~16時の間は普通に入れるようです。この先は休日のみ解放となります。
逗子遺跡群資料館

 まず資料館裏の散策路に行ってみました。
急な山道を蚊に刺されながら登りきると、休憩所とちょっと怖い警告看板↓が有るだけで見晴らしの良いスポットなどはありませんでした。まー自然を観察するところですから。。。

 ということで改めて資料館の先のトンネルを抜けます。
トンネルの銘板↑には「New Hisagi Tunnel」という名称と 1992年5月完成の旨などが記されておりまして、その時に片側1車線+歩道の立派な大きさに拡張されたのでしょう。もちろん専用線が現役の頃はここを線路が通っていたはずです。

↑“子ども遊び広場”への道に露出する線路

↑公園奥の方の原っぱにちらりと見える線路

線路が残る場所の詳細はレイルマガジン誌を買って(←立ち読みではなくぜひお買い求めくださいw)確認いただくとして、空中写真を拡大すると現役時代の線路はかなり細かく枝分かれしており、相当な規模であったことがうかがえます。

『国土地理院1946-2-22「横須賀」空中写真』へのリンク↓
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=6913&isDetail=false

 この線路を米軍が持ち込んで横須賀線各所に常駐していた、後のDD12形ディーゼル機関車(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84DD12%E5%BD%A2%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%AB%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A)あたりが国鉄の“ワム”“トム”といった貨車を引いて出入りしていたのでしょうが、運ぶものが弾薬だけにこのエリア内の入替え専用蓄電池機関車(バッテリーロコ)なんかがひょっとしたらいたのかも知れません。

 この公園は道になっていない場所や立ち入り禁止の場所にさえ入らなければ大丈夫だとは思いますが、ハチやヘビなんかが出ないとも限らないので一人では行かない方が良いかも知れませんね。

参考:トワイライトゾ~ンMANUAL9(株式会社ネコ・パブリッシング)
池子遺跡群資料館パンフレット

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